わたしは上司のことをとても尊敬しています。
就職して3年、恵まれたことに上司は尊敬できる方たちばかりでしたが、その中でも圧倒的に憧れて、もっともっと教わりたいと思う方です。
異動の多い仕事ですが、ずっと一緒にお仕事ができたらいいのになあと思います。
今日、その方についての陰口を耳にしてしまいました。
陰口を言ったり聞いたりしていた方たちは、わたしが近くにいることを知っていながら、話し続けていました。わたしが若輩者なので、油断していたのでしょう。
廊下で、「ああいうときはこうしてほしい」とか、「こういうことをされるから困る」とか、もっと酷いことも言っているのが聞こえてしまったのです。
なんだかとてもショックでした。
自分の悪口を言われたわけではないのに、家族でもないのに、ショックでした。
その場では何も言えませんでしたし、聞いてしまったということも誰にも打ち明けられませんでした。
それ以上聞きたくなくて、そっと別の階に移動しました。
同じ行動でも、受け取り方は違う
別の階に行ったものの、しばらく仕事が手に付かないほどでした。
だんだん落ち着いてきた頃、さっきの会話が頭の中で再生されました。
落ち着いて考えてみると、陰口を言った方たちが指摘していた「困る」とか「ああいうときはこうしてほしい」という話は、わたしにとっては全く共感できないものでした。
むしろ、わたしは同じシーンで「ああこういうふうにしたらお家の方も安心するだろうな」とか「こういう話をしたら子どもたちはもっと考えを深められるだろうな」と、感動するやら、憧れるやら、もっと勉強しようと思うやらでした。
一つの行動で、こうも受け取られ方は違うのかと驚きました。
わたしが「この人すてきだわ」と思う行動でも、ある人にとっては「この人わかってない」という行動と受け取られるかもしれない。
わたしが「この服おしゃれだわ」と思う服は、ある人にとっては「超ダサい」かもしれない。
「わたし」の受け取られ方も、違う
そう思うと、わたしにとって最高の上司が、ある人にとって不満だというのは、ごく自然なことなのでしょう。
以前Twitterで、「福山雅治のことを嫌いだっていう人だっているんだぜ」というようなtweetを見かけましたが、これは今日の私の気持ちそのものです。
こんなに尊敬している上司も、陰口を言われるぐらいです。
わたしは陰口におびえたり、勘ぐりすぎたりすることも多いけれど、みんなから好かれようとして取ったその行動すら、誰かにとっては最悪な行動なのかもしれません。
仲良くしてくれる友だちがいる分、誰かから苦手とか嫌いとか思われていたって、ごく自然なことなのだと考えるようにしたいです。
(当たり前のことだけど、自分のこととなると、これが結構難しい。)
だいたい、わたしにだって、大好きな人もいれば、苦手な人もいるしね!
誰からも嫌われないっていうことは、誰からも好かれないってことのような気がする。
好きじゃないのと、仲良くしないのとは全く違う!
でも、苦手な人の悪口を言うのが自然なこととか、苦手な人の仕事を受けないとかいうのは、全く共感できません。
全員を同じだけ好きになれとか、同じだけ仲良くしろとかは言わないけれど、仕事やご近所付き合いなどのご縁は、お互い気持ちよくできるようにするのが大人でしょう。
苦手な人と二人でご飯を食べに行かなくてもいい。
でも苦手な人からの頼まれごとでも、にっこり笑って引き受けたい。
これはこうしてくださいとお願いしたり、愚痴を言ったりするときは、自分が困った行動だけを否定して、相手の人そのものを否定しないようにしたい。
今日のショックと一緒に、自分に言い聞かせつづけていきたいです。
やっぱりどんなことをしていても、それが好きだと言われる事もあればダメだとけなされる事もあります。
特に、その人が光り輝くものを持っていれば、よけいに嫉妬される傾向がありますよね。
公然と文句を言われているという事は、「素敵だ!」と感じている人も少なくないかもしれませんね。
嫌いな人に対するlala_bowさんの大人の対応は素敵ですね!
是非、見習わせていただきます。
昨日はありがとうございました!
お会いして一層藤本ご夫妻に憧れました♡
嫌いの裏に、好きと思ってくれている人がいるのかもしれないですね。
自分のことになると、なかなか受け止め直せないですが、
周りの魅力的な人たちのことを思うと、納得です。
好かれる人は、それだけ嫉妬される要素もある人なんですね。